筆者が映画館での出来事や思い出についてゆるく書くシリーズです。
映画感想のストックがないときなどに不定期に更新されます。
今日のお話は「映画予約博打ゲーム」。それではどうぞ。
私は、窓口で映画のチケットを自分で購入した記憶がない。
家族と共に映画を観に行った際は、まだ自身が幼く労働もしていなかった頃のため、基本的に親がチケットを購入してくれていた。いつも窓口だったと思う――父親と母親で夫婦50割引なるシステムを活用しており、その都合で当時は窓口でしか該当チケットを買えなかったからであろう――のだが、私にとっては窓口での映画チケット購入は「親に買ってもらうもの」だった。
私はすっかりインターネット購入の虜である。あらゆる映画館の会員になり、予約開始日に――作品や日によっては時間に張り付くなどして――チケット購入を済ませてしまう。自身の席が確約されていない状態に、あまりにも耐性がない。
そもそも、私は非常に抜けており忘れっぽい。あらかじめ「映画のチケットを取った!」という予定を立てておかないと、映画館に行くことそのものを忘れて家でのんべんだらりとしている可能性がある(それはもう忘れっぽいとは別の話な気もするが)。そして、後ろに人を待たせる可能性がある窓口では焦ってしまい正しくチケットを買える自信もない。保険だ。私は保険をかけているだけなのだ。
だが、どのチケットを取るかは博打である。
映画とはナマモノだ。鮮度と需要・供給のバランスで成り立っている。公開したての新鮮な映画は上映回数を多く割いてもらえているが、内容都合や時期都合で客入りが悪ければ次の週には上映回数が半分以下になってしまう。特に今年に入ってその傾向が強いような気がするが、これはあくまで所感なので実際のところは不明だ。抜けていて忘れっぽい存在にそこのところを正しく判別する力などない。
だからこそ、私は毎回の映画予約に来週の自分を賭けているのだ。未来の自分がうまく立ち回れるかどうかは今の私次第なのである。邦画は比較的長く残りそうだから来週に回してもよいだろうとか、海外ホラーはすぐに回数が減るからできるだけ急いで観たほうがいいだとか、そういう予測のもと私の映画鑑賞は成り立っている。
尚普通に大失敗してめちゃくちゃな予定――映画館3店はしごやら、映画館Aに行ってそのあとBに行ってAに戻るやら――を組んでいる日もよくある。未来のことなど誰にもわからない。このあたりの予測がうまくいくようになったら、映画館の予約ももっと楽しくなるに違いない。
でも抜けていて忘れっぽい生命体にそんな器用なことはできない。こうして毎週たのしく根拠もなくその場のノリで博打をする私が出来上がっていくのだった。私のような存在は博打をしてはいけない。喉元過ぎれば熱さを忘れるを地で行ってしまうためである。映画館でおとなしくしていたほうがよい。
尚、この予測ゲームは負けても自分があっちゃこっちゃ巡ることになり、それを第三者目線で見ると大層楽しいしネタになるため、特にダメージはない。これからも映画館予約博打ゲームだけやっておとなしくしていようとおもう。
映画館予約博打ゲームって何?
(了)